2020年1日16日(木)

 朝から気持ちが沈み気味で、外が暗くなるころになっても一向に気持ちが上がることはなく、理由もなく涙が出そうになった。鼻の奥がツンとする。

 気分を変えるために夜になってから大泉学園駅ジュンク堂書店BOOKOFFに行き、数冊本を買ったら少し気持ちが落ち着いた。

 帰宅してから、お願い事のメールが届いていたのを確認し、返信をすると「連絡がつかないから他の人に頼んだ」とのこと。はじめのメールが届いてから私が返信するまでに十分程度しか経っていない。この人と私が付き合っていた頃、電話をとることができないとすぐに「(他の男性と)予定入れました」とメールが来て、その後は連絡がつかなくなったことを思い出した。

2020年1日14日(火)

 実家に帰った。前に帰ったのは二、三年前だったような気がする。

 十二月に逮捕され、二十日間の勾留期間に、母親ははるばる田舎から二回も面会にきた。両親に心配をかけた以上、さすがに実家に顔を出さないわけにもいかないと思いつつ、年末に釈放されてからなにもする気が起こらず年が明けてしまい、ずるずると二週間近く経ってしまっていた。

 夕飯はすき焼きだった。実家で食べるすき焼きは何年ぶり何十年ぶりか分からないが、口にした瞬間にあぁ実家のすき焼きだ、と思い出すような感覚を得た。同時に私はこのすき焼きの味があまり好きではないことも思い出した。

2020年1日12日(日)

 息子が祖父の七回忌に行くので、新宿駅まで送った。息子は私との血の繋がりがなく、七回忌を迎える「祖父」というのは前夫の父だから、私は行かない。岐阜屋で昼飯を一緒に食べた。注文したトマト卵炒めを息子にすすめたら「辛くない?」と聞いてきて、なぜ辛いと思ったのか不思議だったが、理由が「赤いから」とのことで、皿の中で赤いのはトマトだけだったので笑ってしまった。

2020年1日10日(金)

 友だちが新座駅のラーメン店に興味を持ち、新座市に住んでいる私に声を掛けてくれたので一緒に行くことになった。しかし同じ新座市とはいえ、私のアパートからラーメン店までは四十分以上もかかった。

 店は私がついこの前まで勾留されていた新座警察署から数百メートルのところにあり、同房にいた新座駅在住のおじさんがこの店の話をしてくれたことを思い出した。そのとき、私の方から「この辺りで美味い店はありますか?」と聞いたにも関わらず、おじさんの話が下手くそすぎて途中からどうでもよくなり、適当に相槌を打ちながら聞き流したため、店が近づくまでその話をしたときのことを思い出さなかった。

 昼飯時とはいえ平日にもかかわらず店の外に約二十人の列ができており期待したが、ラーメンはごくごく普通だった。

2020年1日8日(水)

 請求書を出そうとしたら印鑑がどうしても見つからず、請求書は明日必着で送ってくれと言われているし、仕方なく一時間程度で作ってくれるはんこ屋を探して出かけたら、雨脚がどんどん強くなっていって、こんな雨の中印鑑を作りに行くのは変な感じがした。

 はんこ屋に行ってみると出来上がるのに三時間かかると言われて、電話で確認したときと話が違うじゃないかと思ったがとにかく注文して、早めの昼食をとり一旦帰宅する。雨に濡れたデニムの色落ちでスニーカーの白い靴紐が青っぽく汚れてしまったのを見ながら靴を脱ぎ、顔を上げたところにぶら下がっていたバッグに目が止まったときに、おや、という気持ちが湧いて中身を確認すると朝に見つけられなかった印鑑が入っていた。

2020年1日7日(火)

 夕方からライブを観に行くため、仕事を早めに片付けようと早朝からがんばって方々にできたものを送りつけたが、昼前に先方の確認待ちの状態になったきり午後になっても音沙汰がなかったため、魔が差(中略)たところ、食欲も増進、大勝軒系のラーメンを食べた直後にコンビニでアメリカンドッグ、アイスまで平らげた。しばらくしてだいぶ覚めてから思い出すと、薬局の電光掲示板を至近距離で眺めて流れる光の粒を見てニヤニヤするなどの奇行をやらかしていた。

 夕方から観たライブは客層が若く、ステージ後方から、ライブはもちろんのことそれに沸くフロアも含めて眺めて楽しんだ。

2020年1日6日(月)

 昨晩寝付く頃には深夜二時を回っていたはずなのに、外が明るくなる前に目が覚めてしまった。不思議と眠気を引きずることなく布団からすんなり出て、洗濯機を回し、正月休みで溜まったゴミを出し、そのまま仕事をした。

 昼食のあと、パンクしていた自転車をサイクリングショップへ持っていき、仕事の続き。色々なニュースを目にしたはずだが、自殺のニュース二件が頭にこびりついて気持ちが重たい。